Shokoさんの記事にTBさせて頂きます。
「東京都町田市の都立高校1年生(15)が、
同じ学校の1年生の男子生徒(16)に殺害された事件。 」
16歳の事件、悲しいですね。
なぜこんな事件が起こってしまったのか。
私が15〜16歳の頃はどうだったのか。
音楽は尾崎豊、THE BLUE HEARTS。
マンガと言えばBE-BOP HIGHSCHOOL、湘南爆走族だった。
今じゃ、恥ずかしいような太いボンタンなるものを履いて、
悪ぶってた時期だ。
喧嘩もしたし、先生にも殴られた。
でも、自分の中には”人を刺す”という気持ちはなかった。
気持ちはなかったというより、その頃には
”人を刺しちゃいけない””人は殺しちゃいけない”という核を持っていた。
振り返ってみれば、
私の小学校では全員にナイフを買わせて筆箱に入れていた。
鉛筆はナイフで削る。
これは学校で教えていたこと。
両親は家で、私に鉛筆削り機を使わせてくれなかった。
親からしてみれば、
危なっかしい手つきで鉛筆を削る子供を見ているのはハラハラしたと思う。
だけど、かたくなにナイフで削ることを教えた。
私は当然、このナイフで誤って手を切る。
そしてここで
「
痛い→血が出る→刃物は人に向けちゃいけない」ことを学ぶ。
さらに虫採りに夢中だった私は、
生き物の中からも大切なことを学んだ。
小さい子供ってのは残酷なもので、
平気でカエルやザリガニを殺したりする。
これを読んでる方には引かれるかもしれないけど、私もその子供の一人。
ザリガニのはさみに爆竹を挟ませ火を付けたり、
カエルを真夏の鉄板のように熱くなった車のボンネットに置いてみたり。
ザリガニは片手が吹っ飛んでも後から小さな手が生えてきて再生する。
カエルはもう生き返らない。
そこにリセットボタンはない。一度終わった命はもう戻らない。
どこまでやると生物は死んでしまうのか。
この”加減”を学んだんだと思う。
学校での喧嘩も同じこと。
カッと熱くなってやり合うが、お互い”加減”を知っている。
これ以上やれば危険だということを。
今の子たちはキレてしまうとこの加減が分からなくなるのかな。
それとも、もともとこの加減を持ち合わせていないのか。
だとしたら、もっと小さい頃の教育から見直さなければ、と私は思う。
すぐにキレてしまわないように”我慢する”ことを教え、
教育の中で命の大切さを教える。
もしも、私の受けてきた教育が正しいのだとすれば、
今の教育と一昔前の教育を比較すれば、
そこに教育の道を修正するヒントがあるのかもしれない。
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