
帰ってまいりました。
実は、母方のおばあちゃんの三回忌で実家に帰省していました。
埼玉はすっかり春でした。
おばあちゃんが亡くなって、もう2年になります。
2年前の4月4日、母からの「おばあちゃんが倒れた!」という電話で
慌てて山形新幹線の最終に飛び乗りました。
山形駅のホームで妹から「お兄!早く!」という電話をもらい、
とにかく焦る気持ちを抑えるに必死でした。
福島駅に到着した頃、妹は泣きながら、「もう駄目みたい。」と電話をしてきました。
もう、なんとも言えない気持ちになり、
普段は「たいして遠くない」と思っていた山形と埼玉の距離間を恨みました。
福島から山形の車内では涙をこらえるに必死で、
車窓に映る人影がおばあちゃんに見えました。
その間は不思議と時間を感じず、
あっという間に埼玉に到着した気がします。
結局、親族、そして孫の中で
私だけおばあちゃんの最後に間に合いませんでした。
脳いっ血でした。
家に戻ったおばあちゃんの顔は少し微笑んでいて優しい顔でした。
いろんなことを思い出し、涙が溢れました。
私の成長痛で痛がる足を優しくさすってくれたこと。
おばあちゃんが握ってくれた、少し柔らかめで空気の入ったおにぎり。
私が山形から埼玉に帰ると玄関でにっこり迎えてくれた姿。
そんな優しいおばあちゃんに、
私は一度だけ思いっきりひっ叩かれたことがあります。
その痛みは、私の中で明らかに実感として残る、一番痛い痛みです。
今まで体に受けたどんな痛みよりも。
でも、きっと自分の孫を叩いたおばあちゃんのその手と心は
もっと痛かったのだろうと思います。
この時、私は自分の痛みと共に、人の痛みを知った気がします。
おばあちゃんの葬儀は奇しくも
母の誕生日と同じ日となりました。
強い風に桜が激しく舞っていました。
火葬場へ送り出す時、思ったことがあります。
人はこうやって死ぬべきなんだ。と。
家族や親族、そして愛する人々に見守られ、
自分は優しい顔で見送られる。
だから、戦争や理不尽な事件で人は死ぬべきではない。と。
私の好きな言葉に、
生まれた時は自分が泣いて、周りの人が笑って
死ぬときは自分が笑って、周り人が泣く。というのがあります。
まさに、おばあちゃんは、こういう最後を迎えることができたのです。
献杯の挨拶の時、父は涙ぐみながら、集まったみんなに話しました。
「おばあちゃんに恥じない生き方をしよう」と。
この瞬間から、私の中で何かが変わった気がします。
恥じない生き方。
それがどういう生き方なのか、
自問自答する毎日ですが、
とにかく、一生懸命、生きようと決めました。
人の死は必ず自分の中に何かを残してくれます。
私はおばあちゃんの死から
いろんなものを受け取りました。
確かに、おばあちゃんは私の中で生きています。
つまりそれは、私の人生において”活かされるもの”なんです。
きっとおばあちゃんも祖先から受け取ってきたものなんだろうと思います。
それが母に伝わり、私や妹に伝わる。
そして、それを次の子孫に伝えていく。
伝えていくというより、きっと、意識しなくても自然と伝わっていくものなんだ。
私はこの家系に生まれてきたことを誇りに、
明日も一生懸命生きようと思います。
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